アイデンティティーってなにさ

さっきふと表題のこと考えてたら、このBlogのことをふと思い出して。
そんじゃ、いつも通り妄言っぽい何かでも書き殴ってみようか。そんな次第。


そんで、今回は”アイデンティティー”ってヤツのお話。なんか高尚なお話っぽいよママン……!
ググってみると自己同一性とかでてくるけど、要はその人”らしさ”って事じゃないかね。別に心理学者じゃないし、そのあたりの細かい定義はがっつり無視するんでいいや。



そう結論づけたとして、次に待ってるのは「じゃあ”らしさ”って何よ?」って話になっちまうから、今度は”らしさ”について考えてみる。
その人らしさってのは、今風に言っちゃえば「その人”っぽい”行動や思想」だと思う。
個人の行動や思想はその時点までの経験や出会いに左右されるだろうから、そのあたりが”らしさ”の原点であり”アイデンティティー”の大本になるんじゃなかろうか。


んで、先の仮定を正しいとすると、その人の歩んできた人生=アイデンティティーって等式がすごく乱暴に成り立つ気がする。

歩んできた人生って事は性格と行動のこととして、今度は行動について考えてみる。
行動が、個人の性格や社会的な価値観を踏まえた外界への働きかけとすると、社会倫理だとか常識以外の部分は性格がすべてだ。
じゃあ、性格は何かっていうと、精神的な経験と肉体的な経験から選択、発展したものといえるだろう。あれ?自我のことじゃん。当たり前だけど。


このあたりから乱暴な結論をするなら、確固たる自我=アイデンティティーとするしかない。
となると、アイデンティティーが不安定って事は、確固たる自我が形成できてないって事だ。つまり、経験か出会いのどちらかが足りなすぎるって事になるんじゃないのかな。
このあたりを他の人はどう結論づけるのか、ちょっと気になる。