札幌と道民とフロンティアスピリッツ
札幌が特異な都市である理由は、札幌農学校があったことが関係している気がします。もっと言うと、開拓使ですかね。
歴史は専門ではないし、あまり詳しいわけでもありませんが、クラークさんの銅像があったり時計台が残っていたり、北大の礎となった人であったりといった部分で、確実に影響は与えていると思います。
で。北海道に感じる違和感というか、何処とも違う部分というのは”未来のアメリカみたい”なんですね。
札幌は非常に大きな政令指定都市で、降雪量と都市の規模が世界でもまれに見る場所で、いろいろと注目されている場所なんです。これだけでも非常にレアな都市です。
でも、それだけじゃありません。”熟成したフロンティアスピリッツ”みたいな物をみんな持っている気がするんですよ。
こないだReplyもらった時はうっかり否定しちゃったんだけど、考えた結果納得しました。
僕ら道民の大部分は、北海道が田舎だと思ってる(札幌は北海道の中では都会だけど、全国的には田舎だと思っている)し、本州は遠いところで、きらびやかな生活は遠く儚いけど、炭午後値は非常にいい場所……といった認識をしているんじゃないのかな。
しかし、地理的な限界は既にどこへやらだし、文化は知識人じゃなく僕ら消費者が創る物になって久しいです。
その状況で自分らは田舎の人間だと思っている札幌人、ひいては道民はどういうスタンスかというと、
・とりあえず斜に構えている
・イベントの主催とかはしたくない
・でも楽しそうならノリノリで参加する
という不思議な状況になると思われます。どっちつかずのコウモリでありつつ、粋なところは押さえている……なんて変な奴らだ。愛すべき変態達ですね!(ぇ
"札幌"の特異性
札幌というのは本当に不思議な都市です。同人音楽では有名なIOSYSさんや、エロゲメーカー、サブカル関連の団体、旧帝大のひとつ北大など、いろいろな物が集まってます。俺は北海道生まれの北海道育ちという生粋の道産子ですが、親父の仕事の関連上、いろいろな都市で少年時代を過ごしました。その目から見ると、先に上げたものだけではなく、+αの特異性が見えるような気がします。
まず、札幌だけでなく道民全体として、地域や国といった産まれた時から属しているコミュニティーに対する帰属意識、それが非常に希薄です。本州や海外の人と比べていい意味で突き放して考えている。ただ、もう少し帰属意識があっても良い気はします。
で、そこから産まれる現象についてです。帰属意識が低いということは……
・新しい文化に抵抗がない
・自分の文化を特に大事にする気はない
とここまでで終わるはずですが、実際の道民性として
・新しい文化を自分の文化に融合しようと試みる
・とりあえず勢いでやってみる
・大学生的なノリ、もしくは江戸っ子的な勢いが大好き
といった性質があるように思えます。これっていったいなぜ……?
Twitterと俺
この記事は北方SGMの代表、あんしすさんの勇姿?の札幌ハジマタ\(^o^)/トークを見ながら書いているんですが、とても不思議な感じがするのですね。
なぜかっていうと、あんしすさんは俺が予備校時代、よく行く喫茶店が彼とかぶっていたためにTwitterでより仲良く?なったわけですが(当時既にお互いにFollowしている状態だった)。
俺自身、大学で部活に入ったり、大学の人間関係だったりでTwitterを離れていたりしたウチに、彼は北方SGMの代表となっていろいろとイベントをやっていた。ここにちょっと時間の流れの差のような物を感じて不思議になるわけです。別に俺自身のであったり、彼の時間であったりが無駄だとか、どちらが悪いとかではなく、ただ”差”という物を感じるんですね。
ここまでを前提として放り投げつつ、いつも通り乱文などの注意は前提としてお願いしますよ。
若年層の年金について
俺自身20代の学生だから、参政権は持ってる。投票にも行ったし、そうじゃないと政治の批判とかできないと思うんだ。
いきなり横道にそれかけたが、権利が増えるということは義務も増えるってことで。俺も年金を払わなきゃいけない年齢に到達している。
我が家の場合は在学中の延期手続きを取らないで、既に支払い始めてる(両親の相談の結果。自分で払いたいから延期手続きを、という意見は却下された)のだけど、将来までずっと払い続けられるかはわからないよね。てか、いまの状況だと義務じゃなきゃ払ってねえよ……というのが趣旨。
最近、20代だと2000万くらい損する!ってまとめ系記事が出回ってたんだけど、小数の若者が多数の老人を支えることになる世代では、損すること自体は仕方ないと思う。
ただ、減るスピードが速すぎ。無駄遣いで減った財源とかこっちに負担させんなって愚痴りたくなるくらいじゃないか。言っても金はわいてこないけどさ。
要は団塊の世代はまだプラスなのに、失われた10年とか言われた世代の”産まれた時から損してる感”が納得いかないだけなのかも知れないけど、公平を期すためにはどうしたらいいのか?と考えてみる。
選択肢をいくつか上げて、絞り込んでみようじゃあないか。
1)上の世代に支払う分を減らす
2)国庫からの補填を増やす
3)老齢年金の義務をなくす
4)移民や出生率を上げる政策で若年層自体を増やす
ぱっと出てくる対策なんてせいぜいこんなもんなので、少しこの4つについて考えてみる。
まず、1と2は実現不可能だろう。1は上の世代が納得いかないだろうし、いまの政治勢力だと上の世代の方が有利だし。2は震災の復興にも金回さなきゃならん上に、赤字運営の国庫じゃ無理でしょ。
いきなり半分になった。世知辛い………
嘆いても仕方ないので、思考を進める。
3をやるとしたら、まずは国民年金を障害年金、遺族年金、老齢年金……などに分解する必要があるだろう。その上で、老齢年金のみを義務から外すか廃止する。
そうなると、なぜ他の年金に義務を残すかという話になるわな。これについては俺の身の上話みたいになってしまうのだけど、母方の祖母は遺族年金とか労災保険関係で結構もらってて、母が障害者に関わることをしてるから、一般的な人よりもそういうことを見てきたからというほかない。
俺の祖父は、母が大学在学中に出張帰りの交通事故で亡くなったので、遺影しか見たことがない。その状況でも4年制の大学を母は卒業した。
もちろんバイトをしたり節約したりはしていたし、授業料免除なども適用されたそうだ。
しかし、大黒柱が居なくなったのだから、生活自体が大変だったことは想像に難くない。そんなの、遺族年金がなかったらどうなったかわからん。廃止なんて言えるか!ってわけだ。
次、障害年金。
視覚障害も聴覚障害も、その他の身体的、精神的障害も大人になってから発生することは存外多い。
事故などもそうだが、大人になってから40℃の熱などを出したあと、耳が聞こえなくなったり障害が残ることはある。医学的な理由は知らないが、そういうことがあるのは事実だ。
母がそういう人たちに関わってるのもそうだし、大叔父が聴覚障害だからそういう人たちの生活も垣間見えるのだけど。
一番困るのは、働ける能力があるのに働けないことだ。雇ってもらえない、といった方が正しい。
例えば自分が社長だったとして、障害者を雇いたいだろうか?大多数の人が二の足を踏むと思う。そして適当な理由をつけて断る。例えば工場なら「危険があった時、大声で注意しても伝わらない」といった感じだ。
健常者より金のかかる場面が多い、障害者の貴重な収入源を奪えるか!といったことで却下。
でも、そうなると「老後の蓄えじゃ足りないのに生活できないじゃないか!」とかそう言った意見が出てくるだろうし、そっちにも耳を貸さなければなるまい。
そうなると……あれ?自動的に老齢年金も廃止できなくなってしまったぞ。これは参った。
1〜3の案は却下されてしまったので、自動的に4を取るしかなくなってしまった。いきなりひとつに絞り込まれてしまった上に無難すぎるので、既に投げやりモードだが一応最後まで。
移民は乗っ取りの可能性(カナダの都市で中華系に乗っ取られかけているところがあるというニュースを見た)があるから棚上げしとくとしても、出生率の増加は年金問題以外でも重要なことだ。このまま低下し続けたら、国の形自体が維持できなくなるし。
この場合は王道だし、実現しやすいだろ……ということで対策。
まずはこども年金とか言うばらまきを即廃止して、公立幼稚園や保育園の増設。
さらに有休や育児休暇、出産休暇などを取りやすくして子供を育てながら働きやすい環境にするってのを国を挙げて取り組む。
あとは国から働きかけて大企業への託児所の設置を奨励するとか、ライフ・ワークバランスを重視するとか、ワークシェアリングで育児中の親を出来るだけ定時で帰ることが出来るようにするとか……
ああ、王道だけあっていっぱい出来ることがあるじゃないか。そろそろ真面目に取り組まないと、人口が国家の存続に関わる勢いで減っちゃうし、ちょうどいい頃合いじゃないの。
というわけで、年金対策は凄く無難な結末に終わってしまった。個人的には3の過激路線で進めてみたかったが、落ち着くところに落ち着いてしまったので仕方があるまい。
ここまで考えてみて思ったけれど、多分年金に憤慨している層は俺たちの子の世代孫の世代とどんどん損をしていって、消費が落ち込み、人口が流出しさらに人口が減り、最終的に国が無くなることを無意識に危惧しているんじゃないかと思った。
人間という生き物はきっと、次代の礎になるのならば多少の損害には目を潰れるんだ。だから、親が子を自分が死んでも守ったりする映画はいつまで経っても、俺たちの心を打つのだろう。
今回は「政治家の皆さん、いつか死ぬ老人に媚売ってばっかじゃなく、そろそろ次代を見据えた政策も考えませんか?」と過激な言葉を贈ることで若干の憂さを晴らし、〆としたい。
これを読んだそれぞれの世代は、ある若年層のこんな考えを一体どう思うのだろうか。
年金と若年層のお話
妄想文検定があったら1級くらい取れそうな気がするの(あいさつ?
いつも通り、妄想かなにかわからないような文章を垂れ流す気満々だが……今回は年金について。
いつもとは違う注意事項として、俺の政治的な考え方について。
・多分、軽く右翼でリベラル派(自己分析だから保障はない
・無制限移民反対(国が消えるわ
・外国人参政権反対(即乗っ取られるだろjk
・難民受け入れ賛成(人道的に
・規制緩和賛成(必要のない規制とかさっさと排除しようよ
・”エロ”はきっちり教育とゾーニングしようぜ
こんな感じかな、うん。関係ないのだらけでも気にしない。
変なところでかみつかれても無視するための、予防線ってヤツだしな。
いつも通り極論とかに走るけど気にしない。
言い方変えると「モデル化とか一般化して思考実験するのが大好きなんです><」でいい。多分。
はい、そんなこんなで本題。
アイデンティティーってなにさ
さっきふと表題のこと考えてたら、このBlogのことをふと思い出して。
そんじゃ、いつも通り妄言っぽい何かでも書き殴ってみようか。そんな次第。
そんで、今回は”アイデンティティー”ってヤツのお話。なんか高尚なお話っぽいよママン……!
ググってみると自己同一性とかでてくるけど、要はその人”らしさ”って事じゃないかね。別に心理学者じゃないし、そのあたりの細かい定義はがっつり無視するんでいいや。
そう結論づけたとして、次に待ってるのは「じゃあ”らしさ”って何よ?」って話になっちまうから、今度は”らしさ”について考えてみる。
その人らしさってのは、今風に言っちゃえば「その人”っぽい”行動や思想」だと思う。
個人の行動や思想はその時点までの経験や出会いに左右されるだろうから、そのあたりが”らしさ”の原点であり”アイデンティティー”の大本になるんじゃなかろうか。
んで、先の仮定を正しいとすると、その人の歩んできた人生=アイデンティティーって等式がすごく乱暴に成り立つ気がする。
歩んできた人生って事は性格と行動のこととして、今度は行動について考えてみる。
行動が、個人の性格や社会的な価値観を踏まえた外界への働きかけとすると、社会倫理だとか常識以外の部分は性格がすべてだ。
じゃあ、性格は何かっていうと、精神的な経験と肉体的な経験から選択、発展したものといえるだろう。あれ?自我のことじゃん。当たり前だけど。
このあたりから乱暴な結論をするなら、確固たる自我=アイデンティティーとするしかない。
となると、アイデンティティーが不安定って事は、確固たる自我が形成できてないって事だ。つまり、経験か出会いのどちらかが足りなすぎるって事になるんじゃないのかな。
このあたりを他の人はどう結論づけるのか、ちょっと気になる。